~その1へ~
3.ついに発見
どうやら、友人の言うことは本当だったようです。少し歩くと、様々な遺構が見え隠れして、最後には実際に廃墟が登場しました。ただ、思っていたよりも小さく、三階建てのこぢんまりとした建物でした。この大きさなら電車から見えないことも納得がいきます。しかし、探索をする前に疑問に思ったことがありました。
この公園は多くの親子や老夫婦が散歩コースとして訪れていて、また建物に面した道路も車通りが皆無ではない。それなのに、なぜ封鎖・解体をしていないのでしょうか。
さて、まずは外見から安全性を確認しようと思ったわけですが、写真の通りです。どうみても安全には見えません。天井が崩落している時点で、2階に立ち入ることはやめたほうがいいと判断しました。また、不法投棄の現場となっているらしく、古いものはビデオデッキ、新しいものは、マックスバリュー(イオンタウンおゆみ野のものか?)の買い物かごまで捨てられていました。
次に使ったのは外見でも見える階段(螺旋階段は後ほど)です。そもそもどこが入り口かわからない以上、螺旋階段は非常口と仮定し、外階段を上って入り口のあるだろう方向へと向かいます。
このとき、私はこの建物がかつては旅館として機能していたことを知りました。筆跡と文字からすると、建てられたのは恐らく戦後かと思われます。インターネットで調べてみたところ多くの方が「新川」と読まれているのですが、どうみても「新」には見えません。「物」の行書に近い感じがしますね。
しかしながら見えたのは、ご覧の通り生い茂った草と捨てられた自転車。当時を思い起こすものは何一つとして見当たりません。但し特徴的なものがこの窓枠。このとき丁度、京成線が目の前を通り過ぎていきましたが、この窓から見えた電車は、池と相まって大変綺麗でした。(もしかすると、旅館はご療養のためのものだったかも…?)
さて、このまま階段を上っていくと、上には一般の民家があるようでした。現在はその民家の一角として使用されているようです(その割には階段には竹の枯葉が山積していたような)。また、この家には番犬がいたそうで、驚いた私はそのまま階段を駆け下りる羽目になりました。これが、この階段が閉鎖されない理由なのでしょうか。
さて、振り出し地点に戻ったところで次に螺旋階段を上ろうと思ったのですが、そのとき目の前に広がっていたのが「立ち入り禁止」で、どうやら危険が近くに迫っているようです、と思った途端、上を見上げると
おっと!階段の金属に腐食が進み、完全に足場が消えている箇所さえもあります。そのまま進まなくて良かった…ちなみにこの螺旋階段、私が入ろうとすると、頭がつかえそうでした(175cm間隔くらいかな)。すると、次に何か真っ黒いものが目に入りました。
どうやら、この旅館はなんらかの火災に巻き込まれていたようです。また、それにより残されたのが外側の金属部分のようです。しかし、そうなると、一体火元はどこになるのでしょうかね…?1階部分を調理場と仮定すると、前編で見たような崩落していない天井は…?木枠は…?とても炭化しているようには見えませんでしたね。
といった疑問を残して次は後編。この建物の設立年代と謎解きを無事に帰ってきたところから、解明しましょう。
~その3へ~
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