幻の駅 東塩尻 その2 【遺構探索】

遺構探索

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 4.東塩尻駅

 東塩尻へ向かうことは、道が意外と長いことを除けば、大したことは無い。そもそも、集落の人たちが使うのだから、面倒な道を作ることはないのだ。
 みどり湖駅から南へ向かい、4回ほど曲がれば、そこに東塩尻へのアプローチの坂がある。

庚申の文字…作られたのは1860年あたりだろうか?

 ちなみに、画像の通り、庚申と書かれた石碑を見ることができれば、そこから右前に見える道を進んでいくことでたどり着くことができる。地図記号上も、石碑という扱いなので目印になるだろう。

「工」の文字がある。「工部省」のものと見られる。

 またアプローチ部分には、工部省(国土交通省・運輸省の前身)が設置したと思われる境界碑が見え、かつてここが駅へ続く道であったことを偲ばせている。ただ、このアプローチ部分の坂はとても急斜面である。斜度は軽く10度を超えていると見られ、自転車や車で乗り付けるには、若干困難があるようにも感じられた。

信号所の跡だろうか 管理室のようにも見える

 坂を上りきったところで、目の前には、写真のような建物が見えた。見たところ、信号所の設備のようだ。もともと、ここが信号所であったことを鑑みると妥当にも見えるが、内部までを確認することはできなかった。

 また、建物の奥へと進むと、枕木のようなものを確認できた。この場所は、かつてここがスイッチバック構造をしていたことを裏付けるもので、貨物列車など、重い列車などが、ここにあった線路を使って勢いをつけることで本線へ入っていったことと考えられる。

この広い空き地にかつては線路があった

 しかし、さらに進んだところではその枕木を確認することはできず、ただ漠然と空き地が広がっているだけであった。

 現在でも、線路をはさんだ反対側には、駅だったころの名残があるということだが、こっち側から確認するには難しく、また線路を越えることも安全の観点から危険と判断し、この時点では確認することができなかった。

 以上の点を確認した上で、この時点で調べられることは全て調べたために現地調査は終了となった。

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