廃線 池田鉄道 その1【遺構探索】

遺構探索

1.はじめに

 かつて、池田鉄道と言う名前の鉄道が存在しました。名前の由来はその鉄道の走る地域の名前なのですが、皆さんはどこにあるかご存知でしょうか?

 池田とは、現在の長野県北安曇郡池田町にあたる地域の名前です。隣の自治体は連続テレビ小説「おひさま」の舞台にもなった安曇野市。実はこの鉄道の起点は安曇野市にあります。この日、たまたま私はこの起点の近くに立ち寄ったので、少し足を伸ばしてみました。

2.起点は安曇追分駅

 探索の始まりは起点の安曇追分駅。かつては「アルプス追分」と呼ばれていた所です。もともと、池田鉄道は篠ノ井線と大糸線(当時は信濃鉄道であり、これは現在のしなの鉄道とは別会社)の間の鉄道空白地を埋めるため、信濃鉄道が設立した子会社でした。

 さて、まずは乗ってきた下り列車を見送ろうとしたわけですが、このとき、手前に不自然にコンクリートの路盤らしきものが…よく見ると、もう1本線路が入りそうな大きさです。コレはまさかいきなり痕跡を見つけたということでしょうか。

電車を見送る…ってあれ?なんだあの山は

 さらに電車を追っていくと、手前になにやら不自然に盛り上がった何かが…まさかこれはホーム?隣を走る大糸線のホームと比べると若干低めですが、かつての鉄道の車高を考えると妥当かもしれません。とにかく近づいてみましょう。

石碑だ。現在で言うところの0キロポストだろうか?

 するとなにやら怪しい石碑を発見。場所からして現在で言うところの「0キロポスト」のようにも見えます。特に奥の石碑には「76Ω」の文字。池田鉄道が信濃鉄道の子会社かつ電化されていたという事実からして、この石碑が池田鉄道のものであることは間違いないでしょう。

 では、これで出発の方向と駅のホームは確定できました。それではこれから当時の線路に沿って進んでいきましょう。

しかし、進行方向に何も痕跡はない

 しかし、ここで最初の難関にあたりました。安曇追分を出てすぐのところで早くも路盤が喪失してしまったのです。可能性として考えられるルートは、この畑を真横に貫くものですが、何しろ、左に見える近所の方のお墓を含めて、近年に再開発されてしまったようで、一切の手がかりもつかめなさそうです。ここは予想を立ててすぐに進んだほうがよさそうです。

鉄道はここから高瀬川まで一直線。路盤は道路に沈んだか?

 鉄道がカーブを終えてから高瀬川を越えることは確実なので、現在の道路に従って、信号のあるところまで行くことにしました。といっても、この池田鉄道には幾つかの史跡が残されていることは、池田町や他の方のサイトで確認済みなのですが、対して安曇野市側(追分~高瀬川)の情報は一切公表されておらず、全て仮定の上で探索をしなければなりません。

 ここで、少し右を向いたところ、また不自然に積まれた石を発見。ちょっと探りを入れてみましょう。

これは枕木だろうか。これ以外、見つかることは無かった。

 ビンゴ!その石の奥に静かに眠っている木を発見しました。仮定のルートのほぼ近くに落ちていました。これは枕木と言ってほぼ間違いないでしょう(むしろここまで綺麗に切られて放置されている木が枕木以外の用途で使われることはあるのか…?)。

車からではまず発見できなかっただろう
この「8」の字の金属はなんだろうか

 ここで、この枕木らしきものを発見したことを他のメンバーである、三島慶幸さん(奥ゆかし廃探索記を執筆中)に報告を入れてみたところ、枕木の可能性が高いということだそうです(最も、その金具と言うのがこの金属かは不明だが)。ただし、実際には枕木では無い可能性や、他の鉄道から持ち込まれた可能性と否定できず、現段階では確実に「枕木だ!」とは言えません。

 しかし、仮にこれが本当に池田鉄道の枕木であったとすれば、安曇野市側では、中々情報がない中での成果なので、当時の私は相当な喜びをかみ締めていました。

3.高瀬川を渡ってみよう

かつて鉄道の渡った旧高瀬橋は、現在解体されている

 池田鉄道は、この高瀬川を渡るところから公式記録が存在しています。その最初の記録がこの、高瀬橋の隣に架かっていた、旧・高瀬橋を超えたと言う記録。鉄道が廃止になった後も2000年まで橋として利用されていたようですが、老朽化に伴い役目を終えたようです。

これが橋脚の一部と見られる

 さて、この高瀬橋を境に行政は、安曇野市から池田町へと変化します。それでは、今回はここまでとさせていただきます。

その2へ

コメント

タイトルとURLをコピーしました