幻の駅 東塩尻 その1 【遺構探索】

遺構探索

1.はじめに

 東塩尻駅、と聞いてピンと来る方はいるだろうか。名前から察するに、中央線の塩尻駅と似ていることから、その路線上に位置することはわかるが、ご存知の通り、現在そう言った名前の駅は存在しない。では、東塩尻とは何だったのだろうか。

2.東塩尻駅とは(机上調査)

 そもそも、東塩尻は駅ではない。正確に言うと「東塩尻信号所」なのである。1906年に中央線の小野-塩尻の開通の後、1939年に本線上にスイッチバックのために設置されたものである。
 当時の中央線は、みどり湖トンネルを掘削する技術が無かったため、辰野町を経由してのルートを通っていた。これは現在で言う「大八廻り」である。但し、このルートはトンネルを掘らない代わりに急勾配を走るという制約を課せられていた。

 そんな中で、中央線には長編成列車・貨物列車が頻繁に走行するようになり、輸送力の向上が、喫緊の課題として累積していた。そこで、比較的長い区間である塩尻-小野間に中間信号所を設けることになったのである。
 また、その際に鉄道空白地帯となっていた、上西條の住民向けに乗降扱いを始めたことが最初である。

 ちなみに、探索を始める前に判明した情報は以下の通りである。

 ・中央東線 小野-塩尻間に存在する。
 ・開業は1946年。 廃止は1983年。
 ・スイッチバック構造であった。
 ・ホームが設置されていたのは1両分。
 ・廃止理由はみどり湖駅の設置。

 以上のことが判明したところで、私たちは、東塩尻駅を目指し始めた。

3.東塩尻駅を目指そう

 現在、東塩尻駅は存在しないため、当然のことながら駅に降り立つことはできない。そこで今回のアプローチは「みどり湖駅」から行うこととする。廃止原因の駅からはじめるという、なんとも因縁めいた始まりである。

みどり湖駅。やはり無人駅である。

 ただ、この駅に降り立ったところで、特段、他の駅と変わった様子は見えない。ただの無人駅なだけである。唯一違う点があるとすれば、圧倒的にホームが長い点であろうか。朝夕のラッシュを考えても、地方で10両は使わないのであるから…

 また、地元住民も、近年では鉄道を使わないのか、待ち人は多くなかった上、列車としての本数も時間あたり1~2本程度と非常に少なかった。

電車が少ない。時間との勝負だ

 つまり、この駅で1本の電車を逃すと、滞在時間は2時間前後。何も無いのだから、することも当然存在しない。つまりこの探索は、当初から時間との争いを強いられていたわけである。

 次の電車の時刻を確認した私の目の前に、次に広がったものがまた私の目を丸くした。

個人情報もへったくれもない地図だ…が右上に何か…

 せめて名前くらいは隠すべきだ、と思ったが、その名前に変更が無いところを見ると、昔からの集落で、人の転入出がないとも言える。また、右上に走っている、辰野支線に不思議な線路が見えるのも気になる。コレはますます東塩尻の痕跡がある可能性が濃厚だ。では、まずそのまま直進をしていくことにしよう。

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