幻の駅 東塩尻 その3 【遺構探索】

遺構探索

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5.東塩尻とは何だったのか

 東塩尻駅の探索を一通り終えた私は、そのまま、みどり湖駅へと帰った。というのも、東塩尻駅設置のそもそもの理由は「鉄道過疎地域における交通の便の向上」であり、この集落自体に、大きな魅力があるかと聞かれれば「みどり湖」としか答えることができないのが現状である(ちなみに4月になるとみどり湖は観光スポットになる)。

 そんな駅である故、前回の「池田鉄道」 と、同じほどの謎があるというわけでもない。ただ単に、地元の方に使いやすいように作られたというだけの仮乗降所に過ぎなかったわけである。

6.1年後…

現在は草に覆われた程度に線路が見える

 また、この駅の衰退は、その意味と同時に路線の衰退の意味を持つといっても過言ではない。
 そもそも地元から要請を受けて作られた駅は、その後に高規格で建設された「みどり湖駅」に、その役目を引き継ぎ、幕を閉じた。
 それと同時に、多くの特急列車と普通列車、更には飯田線からの直通列車が岡谷・みどり湖を回る経路に変更され、今やこの線路を走るのは1日数本というほどまでになってしまった。時間帯によっては1本も走らないこともある。

 そんな中、誰がこの駅の存在に気がつくのであろうか。私は、この探索から1年後、今度は辰野支線を使って、この廃駅にアプローチをした。
 とてもではないが、夏は草が生い茂ってしまうために、探索は愚か、その姿さえ見ることは難しくなってしまう。

 勾配中にあるこの区間。列車は猛スピードで山を駆け上っていく。列車の窓から一瞬だけ見えた駅のホームが、なんとも物悲しくそこにあった。
 もう誰も使わない、訪れない。そんな駅の姿を見ると、私はどこか心を打たれた気がした。

 鉄道は公共交通機関の1つに数えられる。しかし、その裏には隠された物語もあると、この駅は人里はなれた山の中から静かに語りかけているのかもしれない。

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